12.06.2017

人間関係を選択する

自分で人間関係を選択するのは、自由と言うよりも責任

私がここ数年で意識する様になった事は
・自分の選択で関わる人を決める
・それは自由と言うより責任
「上から目線だな」とか 「あぁ、意識高い系ね」と結論を出す人もいるかも知れませんが
自分の選択で人付き合いを決めると言う事は、自分の選択で選んだ人間関係に、自分も責任を持つと言う事
だと私は考えています。
人間関係を選択する
結論から言うと

・相手を自分の思い通りに変えたがる人
・それが出来ないと癇癪を起こし攻撃を始める人

とは距離を取る事にしました。実体験で言いますがロクな事にならないです。これ言葉にすると「五歳児じゃあるまいし」ぐらいの酷い話なんですが、こう言う人は珍しくないです。仕事でもプライベートでもいますよね。普通に。

私が要注意する様になったのは

何でもかんでも首を突っ込んで自分の思い通りにしたがる人

専門分野・得意分野が有って、その枠の中でなら、周囲の人からも「あの人に任せれば安心、頼れる」と頼られる人。
その人が自分の専門分野、得意分野の感覚のままで何でもかんでも思い通りにやりたがる時、収めたがる時。ここに有る落とし穴は深いです。

何を言うかよりも誰が言うか、が重要視される事の落とし穴
・あの人が言うならそうだろう
・あの人の言う事を信じよう
・あの人が言うなら間違いない

この流れ、結構あるあるだと思います。
その人の得意分野・専門分野と言う枠の中だから頼れていた
から
あの人なら何でも正しい、あの人を御意見番にしよう
にすり替わった状態です。
これは、何を言うかよりも誰が言うかが重要、と言う落とし穴に落ちているからだと私は考えています。

物事の捉え方が捻れている人、相手を操りたがる人
自分がやりたい事をやりたい様に、自由に我侭にやる

これを歪んだ解釈で捉えてしまう人。実例を挙げると

・自分を優先させる為に人を抑えつける、諦めさせる、譲らせる
・鬱憤を晴らす為なら相手の人間関係を引っ掻き回して壊す
・相手の気持ちや考えを自分の思い通りに捻じ曲げて変える
・上記もろもろの事は、人に嫌われる事を恐れない、と捉える

私は一時期、こう言う考え方が蔓延する人間関係の中で鬱になった事があります。私の知り合いに限って言えば

・物づくりが得意
・決まった物事の手配や段取りが得意
・パフォーマンスなどの自己表現

など、専門分野を持っていて職人気質な人ほど、相手を自分の思い通りに変えたがる事が多かったです。更に言うと、関東や東京ほどこの傾向は強いです。
ハード面が充実していてソフト面でも技術レベルが高い、そう言う空間では有る種の選民志向になってしまうのかも知れませんね。

相手の考えや気持ち、価値観、人間関係、なんでもかんでも首を突っ込んで捻じ曲げる。周囲に有る事無い事を吹き込みまわる。自分の思い通りに出来たら自己陶酔が始まる。
私はこれ、結構やばい病気だと思います。

もちろん彼等・彼女等は自分にとって反面教師だと思っています。私だって下手すると同じ側になる恐れがありますからね。 

私が注意すべき事

私の経験だけで言えば、関東、主に東京のスポーツウィップ、フープ、ジャグリング、ファイアーパフォーマンス関連の人達は
・個人間の人間関係について
・当事者含め、誰も頼んでいないのに
・表面に見えている事だけで全てを判断して首を突っ込む
・自分の正義で一刀両断する、自分の思い通りに相手を捻じ曲げる
・相手の人間関係、考え、価値観、言動、気持ち、なんでもかんでも
・相手を自分の思い通りに捻じ曲げ自己陶酔
・外野は足並みを揃えて加勢

これやっちゃう人が多いです。相手の背景や表面に見えていない事は「無いもの」と捉える人が多数ですね。誰も頼んでもいないのに首を突っ込み相手の人言関係を引っ掻き回し、自分の正義で何でもかんでも捻じ曲げひん曲げ自己陶酔。そして
・自分が知らない背景が有る事、を後から知ると
・「最初から言わないのが悪い、説明しないのが悪い、お前が悪い。人のせいにするな、自己責任だ。」の免罪符

このパターン何度も見たし私も経験しました。兎にも角にも自分の正義で裁きたい、そんな人が多いですね。

「もしかしたら目に見えていない、自分が知らないだけの背景が有るかも知れない」この発想は彼等・彼女等には無いです。

パフォーマーやアーティストなど自己表現を生業とする人達にこの傾向が多いのは知っていましたが、特に東京はプロアマ問わずこの傾向が顕著です。
なので関東や東京のスポーツウィップ、フープ、ジャグリング、ファイアーパフォーマンス関連の人達が私の事、私の人間関係に関わってくる時はそのやり取りを全て公にする事にしました。 例えて言うなら

いわゆる晒し。SNSのDMやTLをスクショで全て公にするイメージ

一語一句漏れが有ると、それは存在しないもの、発生していない事、と捉える上に話を想像や思い込みで独り歩きさせて盛り上がる人達があまりに多いからです。なので全て公の状態で明確に示す必要があります。

もちろん全ての人達と毎回そんなんやってたら疲れますよ。人間関係で窒息しますよね。あくまで
”関東や東京のスポーツウィップ、フープ、ジャグリング、ファイアーパフォーマンス関連の人達”
が私の事、私の人間関係に関わってくる時。この時は相手に対しても自分に対しても、普段の倍以上は注意することにしています。

人間関係を選択出来ない人は共倒れする
人間がおかしい人、を何時迄も甘やかし庇い続ける人(達)はいずれ自身の信頼も失い共倒れします。
私の経験では「お互いに利用し合えば良い」云々の策略家ごっこが蔓延している空間は、誰も問題の根本に目を向ける気が無い上に自分では無い他の誰かに問題を押し付けたがる、陰鬱な状態である事が多かったです。


私は数年前から仕事でも趣味でも、人付き合いは自分の選択で決める事が自分の責任だと考えるようになりました。その結果、私の趣味や人間関係は大幅に減りましたが、それは私にとって必要な事だったと捉えています。


いやーな事を量産し続けた人間を避ける、切り捨てる事に対して、「相手を当時の印象のままで捉え続けるのは大人げないですよ」と言う美談を充てがうには、その相手が

・自分が抱える問題を自覚して自力で対策を取り続けている
・人間的に成長して自らの意思で変わった

これらが前提でなければ、単に都合の良い話のすり替えだと思います。


Satoru